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映画「ニキータ」(1990)

あらすじ

 不良グループの1人、ニキータアンヌ・パリロー)。彼女は警官殺しの罪で終身刑を言い渡される。判決に不満のあるニキータは暴れるのだが、その狂暴性を見込まれ秘密工作員に仕立て上げられる。不良娘から華麗な女殺し屋へと変身していく。

 工作員養成所を出た後、マルコ(ジャン=ユーグ・アングラード)と出会い2人の幸せな生活が始まるのだが、突然入る暗殺指令の数々。真実の愛を知り始めた彼女が最後にとる行動とは・・・。

 

予告編 を下記より見ることが出来ます。

 

ユーモア

 この作品の中で私がユーモアを感じたシーンは、訓練に嫌気が差したニキータが教官への暴行の後、踊るシーン。そしてニキータと喧嘩した後、恋人のマルコが仲直りのために花束を用意したシーンだ。

 前回・前々回のログで紹介した「レオン」と「フィフス・エレメント」でも、やはりユーモアを感じるシーンがあり、私がベッソン作品を好きな理由の1つである。

 

重厚な音楽

 予告編でも流れているメインテーマ曲が、そのシーンの張り詰めた緊張感や重苦しい空気感を表現すると共に、映像に更なる深みを与えている。「映画は総合芸術」だと言われるが、正にその通りだ!

 

リュック・ベッソン監督の作品

 ベッソン作品は、語り過ぎないところがいい。

 「語り過ぎない」とは「セリフが少ない」という意味ではなく、「説明し過ぎない」という意味だ。例えばニキータはある指令でメイド役を演じるが、その指令の結果は表現されていない。後出の「アサシン」では、その指令の結果が描写されている。監督が何に重きを置くかで作品が全く別のものに変わる。

 「ニキータ」のラストシーンも「語り過ぎない」ところがいいのだ。作品の中で語られていない部分(シーン)を観客が頭の中で映像(シーン)として埋めていく。未完成だった作品が観た者の頭の中で完成品となる。この完成品に同じものはない。それが映画を観る楽しさだと私は思う。

 

ハリウッドのリメイク、映画「アサシン」(1993

 ストーリー展開も映像の構成も殆ど「ニキータ」と同じ。かなり前にレンタルして観たことがあるが・・・。酷い!酷過ぎる!!!と、思ったことだけはよく覚えている。この作品に関しては、これ以上書くスペースを割きたくないのだが・・・。緊迫した空気感のようなものを全く感じなかった。平たいのっぺりとした感じの仕上がりだったと記憶している。「ニキータ」とは逆に、こちらは「語り過ぎ」。

 ミロのヴィーナスが美しく、人の心を惹きつける理由は、失われた腕の部分を補おうと脳が想像するからだ、というような内容のことを何かで見た(聞いた?読んだ?)記憶がある。想像する余地がない「語り過ぎ」の作品はつまらない、ということなのだろう。

 

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